『#俺の歌は地球を救う 深田和良100kmマラソン 7/4編』深田和良コラム

#俺の歌は地球を救う 深田和良100kmマラソン 7/4編

どうも、100キロ走り終えた後にライブをしたアイアンマンこと、アイアン深田です。この度は皆様本当にご声援ありがとうございました。何故100キロ走ったかということは前回のコラムを参照して頂いて、今回は実際に100キロ走った2日間を文章にしてお伝えしようと思います。

スタートは7月4日の19:00を予定していました。時をさかのぼることその一日前。7月3日の23時頃。僕は『明日の為に軽くジョギングしとくか…』と家をでました。この時点でのジョギングはトレーニングの領域ではなく軽い調整であって、いわゆるバイクとかでいう『一日一回は火ぃいれとかなきゃエンジンに良くないよねー』みたいなモノです。

それが間違いでした。

ジョギング開始早々左足脹脛(ふくらはぎ)に鋭い痛みが…一歩足を踏み出す度にそれは襲ってくるのです。

(あれおかしいぞ…おかしいぞ…)
(こんな痛みは一時的なものだ…よな!?)

と、必死に自分をごまかそうとしました。不安な気持ちを抱え就寝。

7月4日9:00起床。

(痛みがひいていない…!!)

すぐさま病院へ。結果…

診断:肉離れ

医者には運動をとめられ、絶望的な気持ちになりましたが、すぐさま「肉離れ 痛み止め」で検索。結果ロキソニンと肉離れ用のサポーターを入手し、スタート地点である彦根城へ。僕の中では『足がなくなる』くらいの事がないとリタイアはあり得ないと決意していたのです。

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現地には彦根城付近で働く方がtwiiterをみて応援に駆けつけてくださっていました。そして、これからの100キロマラソンをサポートしてくれるモルグモルマルモのメンバーの藤谷君、宇宙(石像は5日の昼から参加)、スタッフ、下北沢ブロイラーのクロダさんに見送られ、予定より30分遅れの19:30頃(サポーターを買うのに手間取りました)彦根城を出発。

スタートしてからしばらくは肉離れが心配で恐る恐る走るという感じでしたが、サポーターが良いものだったのでしょうか、痛みはそこまで出ず、

『よっしゃこれならいける!』

と徐々にペースをあげていくのでありました。

 

滋賀県を走るルートは県道2号線(中山道)をひたすら西へ走り、草津から国道1号線(東海道)で京都に出るという感じでした。その距離およそ70キロ。

日もたっぷり落ちてからスタートしたので、湿気のせいで汗は止まりませんでしたが、走るにもってこいの気候でした。ただ…

『めっちゃ暗い…』

県道2号線といっても少し街をぬけると、田んぼ、川、田んぼ、田んぼ、川…これぞ田舎! カントリーロードが広がるばかり。街灯なんてありゃしない、あっても点いてない(なんじゃそりゃ)。懐中電灯的なものをもってなかった僕は(光って周りに自分がいる事をアッピールするライトはありました)、

(くらいっ! えっ? あそこ道ある? 続いてる?)とか
(あぶなっ! 今、溝に落ちかけたがな!)とか
(おわっ! ウ◯コふみかけた!)

と幾多にもはりめぐらされた、滋賀の悪魔の罠に細心の注意を払いながら走らなければいけませんでした。

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確か能登川で2回目の休憩。汗がドバドバ吹き出てくるのでしっかりと水分をとり出発。因みにこの時は体のコンディションは良かったです。コンディションもいいし、悪魔の罠にも慣れたきたので『よし、もうちょいペースをあげるか』と走りながら考えていたところに、最強の滋賀の悪魔の罠が待ち受けていたのです…。

(うそだろ……歩道がない!!)

今までは田んぼ、そしてたまに川という感じでしたが、この先の道は少し山道になっていました。

しかし愚かな事に僕は(まあ車道の幅も広いし、すぐ歩道も出てくるだろう、迂回してたら時間もかかるしこの道を行くぞ!)と、その山道をずんずん入っていきました。そう考えたのは一つの絶対的な安心があったのです。今回のルートを計画するにあたって、僕は地図を買い、更に天下のグーグルマップでルートを検索しました。

(あのグーグルマップ様が通れないような道をルートにだすわけあらへん!)

想いに反しドンドン狭くなる車道。只でさえ狭いのに、更に車道の幅を狭めてくる逞しく育ちすぎた雑草。何かに追われてるかの様な狂った猛スピードで真横を通り過ぎる滋賀ナンバーの車。僕は信じていたグーグルマップを恨めしく思いながら(ああ…死ぬかも…)と思ったその瞬間、

『乗って!』

先に行ったはずのモルグカーが後ろからやってきました。天使はいました。天使はバンドメンバーでした。僕はすぐさま飛び乗り難を逃れました。

『さすがにここ走ってたら死ぬわ』

と、藤谷君。というわけで1キロほどワープさせて頂きました。某24時間テレビのようなバックアップもなしでやってましたので、こういう事は起こります。死んだらギャグにもなりませんので、ここのところはご容赦くださいませ。

それからの僕は左脹脛の肉離れこそ痛まなかったものの、右膝、右足首とドンドン痛んできたのです。でも走り続けなければなりませんでした。しかし一日目のノルマは約70キロ!! 僕らの当初の打ち合わせでは、

『朝が来るまでに、五条大橋にたどり着こう』

それが合言葉でした。それを受けて僕は僕で、

(早く京都に着いてみんなの寝る時間を少しでも長くするんや!)

と、変な使命感に燃えていました。

彦根→能登川→安土→近江八幡→野洲→守山→草津

激走しました。

しかし問題発生。当初このマラソンは【100キロマラソン】でした、でも、いつの間にか【約120キロマラソン】となって彦根城をスタートしたのです。もちろん【120キロマラソン】になった事は承知済みでした。

どういう事かと言いますと、彦根城から心斎橋まで最短ルートで約106キロです。しかし、その最短ルートは車で追いにくいルートでもあったのです。で、車でも追いやすいルートにして修正して【約120キロ】。その事実を知った僕はまたまた愚かで、スタート地点の変更をすればよいだけだったのに、もう距離が多少増えるくらい仕方ないと、

『20キロの誤差くらいかめへんかめへん』←あの時の自分を殴りたい

と、この件を片付けてしまいました。多少という距離ではありません、20キロという距離をなめてました。京都から約20キロ地点、草津に着いたのは3時過ぎ。その頃には僕の足も悲鳴をあげて、全力はおろか、どれだけ頑張っても歩くよりちょっと早いスピードでしか走れませんでした。

そして、僕は決断したのです。今まで走った距離は50キロ、今から必死こいて20キロを走ったとしても五条大橋の到着時間はよくて7時くらい。それから心斎橋まで走る? 50キロの道を? 明日はクソ暑いぞ? 僕も皆も限界やぞ? 冷静な判断を下さなければいけませんでした。

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本当に嫌やったけど、

『50キロ走って今日は終わりにする。20キロワープする事は不本意やけど、それでも100キロ走れば皆も認めてくれるやろ』

みたいな事を言いました、反対意見はありませんでした。それより僕も含め皆、明日の為に休みたいという気持ちになっていました。

藤谷君の運転で大津、山科を越え、藤谷君んちへ。みんなはすぐ眠りにつき、僕もtwitterで20キロワープしました、という事をお知らせして眠りました。確か五時をまわっていて、周りがとても明るかったのを覚えています。

足は凄く痛んでましたが『こうなりゃ絶対ゴールせな』と思っていました。

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#俺の歌は地球を救う 深田和良100kmマラソン 7/5編に続く