どうもこんにちは。知ってる人は知っているくらいのバンド、カトキットvoのあっけです。
バンドの解散が相次いでおる…!
特に3月はカトキットとも親交の深い「ウルトラタワー」「THEロック大臣ズ」が解散するなど衝撃を受けざるを得なかった。二組のあたし的名曲を貼っておくのでぜひ聴いて欲しい。あぁ悲しい。
ハロー/ウルトラタワー
Ding Dong Boyに鐘は鳴る/THEロック大臣ズ
ここで考えたい。そもそもバンドとはなんなんだろう? バンドとは音楽なんだろうか、バンドとは人なのだろうか。例えばボーカルが作詞作曲を行なっていて歌唱しているバンド。楽器陣がメンバーチェンジを繰り返しても、バンド名は変わらず活動しているスタイルはとても多い。
また、「フジファブリック」のようにボーカル以外のメンバーが、バンドを続けていく形もある。「夜の本気ダンス」も実はそうだったりする。両者とも聞く側からしてみると、同じバンドの作品と言われてもメンバーチェンジによって根本から違う印象を受けたりする。それでもそのバンドの作品だと言われれば受け入れるしかない。
メジャーの世界にいくと更にややこしく、例えばミスチルなんてプロデューサーの小林武史の存在感の方が強くて、桜井さん+小林武史+演奏してる人くらいの構図になっている。(注:皆さん素晴らしいプレーヤーです)
サザンも桑田が歌ってればお茶の間の人はサザンと思うだろうし、GLAYはドラマー含めGLAYだと思うだろうし、メジャーにいけばいくほど、CDやテレビでしか音楽を楽しまない人達にとっては、
『別にバンドとかどうでもよくね???』
っていう感覚だと思いませんか?? そう、それはきっと正解なのです。バンドかどうかなんて、聞く側からしたらどうでもいいんです。
と、こんなことを書くと、このコラムを読んでくれたり、ライブに通いまくっているそこのあなたは、「なんて心無いことを言うんだ…」と思われるかも知れません。
しかし考えてみましょう。
大富豪を始めるためにトランプが均等に分けられるような公平さで、世間の人達を掻い摘んで30人のクラスに入れられたとしましょう。誰と自分の好きなバンドの話が出来ますか? クラスに居なくないですか?? 隣のクラスのぞいてみよーぜ、そういう世の中なんです、あるいはそういう時代なんです。
今はご存知の通りパソコン1台で曲が作れます、ライブができます。皆んなが「せーの!」で楽器を演奏をしないといけなかった50年前ではもうないのです。音楽表現者、制作者にとってのバンドの必要性というものが、格段に変わってきています。そしてそれはそのまま、世間の認識になっていると思います。今の時代バンドとは音楽を創る集団でも奏でる集団でもなく、ただそこに存在するだけの実態のない事実だと思います。
それは音楽を作り出す人にとっては、日々変わりゆく創作の中で唯一凜と立つ指針のような存在であり、また売り出す人にとってはマーケティング上のネーミングであり、また聞く人にとっては安心感のようなものであり、関わる角度や見方によって存在意義は異なります。その人数が増えれば増えるほど実態は無くなっていくでしょう。これがバンドという存在の本当の姿だと思います。
長く続けていくと、関わった人はどんどん増えていき、その分だけ形が変わります。もう何が何なのか分からなくなった時、壊れてしまうんじゃないでしょうか。バンドとはそういう儚いものなのかも知れません。
ただ逆に考えれば、その実態のなさゆえにどんどん進化し、新しい世界を見せてくれるのもまたバンドです。音楽を創造する上で、表現する上で、より自由で豊かであり続けるための集団でありたいです、『カトキット』は。
100のバンドがいたら100の正解がある、それがバンドです。バンドという概念なんて、無いんでしょう、きっと。
『バンドという概念』について考える。ちょっと難しく熱い話になりました。そして偏った意見だったと思います。みんなにとってバンドとはなんなんでしょうか。あたしにとっての答えは、2017年3月27日現在こんな感じです。
最後に解散した二組へ。
共に同じステージに立てたこと、同じ時代を生きた事を誇りに思います。素晴らしい音楽を、そして最高密度の生き様を見せてくれてありがとう。もうCDでしか聞けないのは寂しいけれど、じゃあ沢山CD聞くんやから!! 残してくれてありがとう!
グッバイ!!!!!!!!!